さるかに合戦では,蟹が柿をぶつけられて大怪我をしている。それを悲しむ子蟹に同情して,いろいろなキャラクターが登場するのだが,その中に栗がいる。
それはおかしくないか。
柿はひとつのアイテムとして猿が蟹に投げつけるのだが,栗は人格を持つキャラクターとして描かれているのはなぜだろう。「桃栗三年柿八年」という言葉から推測すると,栗は4年目以降から自我を持ち始めるのかもしれない。
というより,うんこですらキャラクターとして登場するのに,親蟹にはなにかというと「ハサミでちょん切るぞ」と脅され,猿にはパクパク食べられてしまう柿がかわいそうでならない。
3 件のコメント:
優の母さんからミクシイ経由で飛んで参りましたm(__)m
この、サルカニ合戦。ブログ読むまで私の記憶から消え去ってましたが、改めて読んでみると、なるほど、まけいぬさんの言うように柿が可哀想でなりませんね。。。
すると、柿は9年目から新たな展開を見せるのでしょうか。。。
奥深いです。
書き込みありがとうございます。
昔話には意外にシュールなものがいっぱいありますよね。
例えばシンデレラのラストではシンデレラのお姉さんが,ガラスの靴に合うように自分の足を切り刻んでしまったりとか。しかも元々はロシア語で書かれた物語で,原語ではガラスの靴ではなく,毛皮の靴だったとか。
いつもくだらないことばかり書いていますが,これは珍しく本当のお話です。
はじめまして、クリボウといいます。
> 柿はひとつのアイテムとして
> 栗は人格を持つキャラクターとして
ディズニー映画の、プルートとグーフィーの扱いの違いにも似ていますね。
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